コメで世界2位の輸出高を達成したベトナムは、天然ゴムでも世界4位の輸出量を誇る1次産品大国です。ベトナムは昨年、2009年は72万トンの輸出を達成。今年はさらに3%増やして75万トンの輸出を目標とする見通しがベトナムの業界関係者から示されたとの報道がありました。
ベトナムはコメの生産高が飛躍的に増え、輸出ができるようになったのはサイゴン陥落後、すなわち社会主義共和国になってからだと前に書きました。しかし、ベトナムはそれ以前から天然ゴムの生産が行われ、特に旧南ベトナムは輸出大国でもありました。
現在のベトナムとラオス、カンボジアを包含したフランス領インドシナ連邦が結成されたのが1887年。この時、フランスは植民地経営のための外貨獲得源として、石炭と並んで天然ゴムに目をつけていました。既にマレーシアで天然ゴムのプランテーション農法を確立していた大英帝国に対抗する形で、フランス植民地の主要な1次産品としてゴムノキが植えられていきました。大東亜戦争後にベトナムが植民地支配を脱すると、ゴム農園が集中していた中部から南部はベトナム共和国(南ベトナム)領になり、引き続きプランテーション農法でゴムの生産が行われていきます。
南ベトナムが自由主義経済だった1960年代には、年間数千トン程度のゴムが日本へ輸出され、シンガポールと輸入量4位を争っていました。ベトナム戦争期には、南ベトナムにとって戦費調達のための数少ない自主財源になり、開戦3年目の1967年には7,487トンを日本向けに輸出、南ベトナムとしてのゴム生産のピークに達します。
しかし、戦争による疲弊で徐々に生産量は落ち始め、サイゴン陥落後、社会主義に移行する過程でフランスやイギリス資本のプランテーションは接収されていきます。社会主義共和国発足直後、ベトナムからアメリカや日本をはじめとする西側自由主義諸国への輸出は激減。1978(昭和53)年のコメコン加盟でソ連との経済的関係が強まったこともあり、1985年から1992年の8年間に日本へ輸出されたゴムはわずか118トン。しかも、8年間のうち5年が輸出ゼロという、業界にとってはまさに暗黒時代でした。
1991(平成3)年6月にコメコンが解散。ベトナムのゴム業界に、西側先進諸国への輸出再開という明るい光が差しました。1993年、日本向けに本格的な輸出を再開し1,323トンを輸出。その後、一貫して日本への輸出は増え、2005年には1万トンを突破しました。この過程で、ベトナムは積極的なゴム農園の拡大を進め、世界生産5位の地位を獲得するに至りました。それでも、ベトナムからの全輸出高のうち、日本向けがに占める割合はわずか2%にすぎません。ベトナムからのゴムの最大の輸出先は中国で、輸出されるゴム全体の60%以上が陸路や海路で中国に向かいます。コメコン時代にも同じ社会主義経済を取る中国には輸出ができたのがひとつの理由とみられていますが、最近は中国の自動車の年間販売台数が世界一になり、その3分の1を占める自国ブランド車に使われるタイヤの需要が急激に伸びています。とはいえ、中国への依存を強めることは、今後リスク要因として浮上してくる可能性もあるとする証券アナリストも少なからずいます。
日本では、世界最大手のブリヂストンや横浜ゴム、住友ゴム(ダンロップ・ファルケン)、東洋ゴム(TOYO TIRES)など、主にタイヤ製造メーカーがベトナムから天然ゴムを調達しています。特に住友ゴムは、2007年に日本の大手メーカーとして初めて、ベトナムに工場を設けるなどベトナムとの関係を深めています。タイと中国に主力工場を置いているブリヂストンも、ベトナムへの進出の可能性を探っています。
天然ゴムの国別生産高では、ベトナムは5位。4位にインドがいますが、インドは生産の多くが内需に回るのに対し、ベトナムはほぼ全量が輸出に回ります。このために輸出高だけで見ると、ベトナムが4位に上がってきます。ベトナムよりも上に行く3カ国はマレーシア、インドネシア、タイ。ということは、輸出高4位までがすべてASEAN圏内で、しかもこの4カ国で世界の生産と輸出の9割近くを占めているということになります。
そこでベトナムは、上位3カ国が共同で設立した「国際ゴムコンソーシアム」への参加オファーを受けることにしました。輸出価格の安定を目的に2002年に設立されたコンソーシアムの4カ国目のメンバーとなるベトナムには、世界生産の約1割に達する自国産天然ゴムをコンソーシアムの管理下に置くことで、世界のゴム市場における価格の安定と、価格競争力の向上に貢献することが期待されています。