社会主義民主集中制を取るベトナムでは、大学は将来の指導階層を育てるエリート教育の場として機能してきました。しかし近年、日本のような私立大学も徐々に認められるようになってきました。
 ベトナム最初の大学は、フエを都とするグエン朝が成立した直後の1803年に創始されたフエ大学です。フエ大学は、東南アジア全体で見ても最古の近代的総合大学として知られています(シンガポール国立大ができたのはフエ大学より100年も後の1905年、タイのチュラロンコン大学に至ってはそれよりもさらに後の1917年)。

 その後仏領インドシナ時代の1906年、ハノイにできた「インドシナ大学」が、1945年の民主共和国(北ベトナム)独立宣言とともにベトナム国家大学として生まれ変わり、ベトナムの最高学府となりました。
 一方、共和国(南ベトナム)の最高学府は1955年の南北分断固定化と同時にできたサイゴン大学で、それ以前のサイゴンにはインドシナ大学の分校があったといいます。

 社会主義共和国発足後は、インドシナ大学の後身となったハノイ大学、サイゴン大学が校名を変更したホーチミンシティ総合大学、さらにフエ大学の3校を核に、学部が単科大学として独立するなどの変遷をたどっていきました。そして1993年、ハノイ大学はベトナム国家大学の名前に戻され、ホーチミンシティ総合大学は1995年、国家大学に統合されてホーチミンシティ校という、いわばインドシナ大学時代に先祖返りした形となり現在に至ります。

 ところが、現在のベトナム国家大学は、多くの学部が単科大学として独立済みです。特にホーチミンシティ校は、南ベトナム時代に16の学部を擁したサイゴン大学時代のそれとは大分変わってきています。さらに1988年のタンロン大学を皮切りに私立大学ができ始め、2000年代に入ると私立が勢力を拡大して現在では20校程の私大があります。

 しかし、総合大学ではないいわゆる単科大学や、私立(民立)大学は、従来からある国公立大学には認められていない分野がありました。

VIETJOから引用:
 教育訓練省は短期大学・大学・大学院の開設に関する具体的条件を規定する通知草案を作成中だが、その最新版では以前にあった「私立大学は報道、法律、教員養成に関する学科を開設できない」とする規定が削除されている。

 報道分野、即ちジャーナリストを養成する分野が認められていなかったのは、マルクス・レーニン主義の報道原則に基づくものとみられます。すなわち、新聞やテレビ、ラジオといったマスコミはベトナム共産党または国家機関、ないしは地方機関の管理下に入るとされています。

 法律分野が認められなかった理由は、社会主義共和国憲法下の一党独裁体制に対する問題意識を持つことが、ベトナム共産党の指導的役割を否定する勢力の登場につながる可能性があるとして警戒したのでしょう。問題意識という意味では、報道分野にもつながる点があるといえます。
 教員養成分野は、社会主義共和国憲法35条と36条で国が全責任を持たなければならないと規定されているため、私立組織では不可能です。

国立大学法人東京大学東洋文化研究所田中研究室「DB世界と日本」から引用:
 教育と訓練は政策の最優先のものである。人民の精神を高揚し、人材を訓練し、能力養成を視点に置いて国は教育事業を開発するものとする(憲法35条)
 国は目的、内容、計画、教員に要する水準、試験を律する規則、学位及び証明書のシステムに関する国家教育システムの包括的管理を実施する(憲法36条)

 ですが、ドイモイ政策の過程で社会主義市場経済が確立する中、学生の教育を受ける権利と、教育者が学生に対して高度な専門教育を施す自由が、しっかりと根付いてきました。

VIETJOから引用:
 私立大学でこれらの学科の開設を禁止することは、現行の教育法や大学教育管理に関する規定に反しているとの多くの指摘が寄せられていた。多くの私立大学にはすでに報道と法律に関する学科が開設されている。

 教育訓練省では近く、新しい大学設置基準を発表して私立大学にもこれらの分野の学部設置を解禁するとしていますが、規定が存在すること自体、西側諸国のびっくりニュースで取り上げられそうなものです。

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