ベトナム国会は、実務のトップに立つ首相の行き過ぎを監視すると前に触れました。一方で、共産党内でも最高指導部の分業体制が民主共和国時代の早い時期に確立し、スターリン主義的個人独裁を徹底的に排除してきました。その姿勢がベトナム戦争期からその後の社会主義共和国の安定を支えるバックボーンとなってきたのは言うまでもありません。

 ベトナム共産党の最高指導者は、党書記長です。民主共和国建国の父、ホー・チ・ミン主席は1951年に共産党の前身、労働党の主席に就きますが、日々の内政実務はその下の党第一書記(現在の書記長)や首相を中心とする政府に任せていました。労働党結党と同時という早い時期に、党の最高ポストである主席と、第一書記に別の人物が就くという現在まで続く集団指導体制が確立していたのです。

 現在の指導ポストは、2006年の党大会、そしてその後の国会で選ばれたもの。ノン・ドゥック・マイン書記長、グエン・ミン・チェット国家主席、そして事実上、ベトナムを代表する立場にあるグエン・タン・ズン首相の3人が社会主義共和国の最高指導ポストを担う人材として、常にお互いの活動をチェックし合いつつ日々の政策を遂行しています。しかし、実務面ではズン首相が表に出る機会が非常に多くなっています。次いでマイン書記長、最後にチェット主席という順番です。

VIETJOから引用:
 国会は(2006年6月)26日、27日の両日、新首相、国家主席、国会議長をそれぞれ選出した。新首相には南部カマウ省出身で党内序列3位、第一副首相のグエン・タン・ズン氏(56)を、新国家主席には南部ビンズオン省出身で党内序列4位、ホーチミン市党委員会書記のグエン・ミン・チェット氏(63)、国会議長にはハノイ出身で党内序列6位、ハノイ市党委員会書記のグエン・フー・チョン氏(62)を選出し、主要ポストに南部出身の改革派を起用することで、引き続き経済改革を推し進める姿勢を内外に示した。

 これに対し、中国では建国当初、党の最高ポストである「共産党主席」の地位にあった毛沢東主席が、政府の最高ポストである国家主席を兼ねていました。その後ベトナム労働党と同様にポストが分離されて国家主席を退任した毛沢東は「党」主席に戻っていきますが、1993年に江沢民総書記が国家主席を再び兼務するようになり、現在の胡錦濤主席もその流れを汲んでいます。

 一方、スターリン主義的手法が採られている北朝鮮では、金日成主席が当初は朝鮮労働党総書記と首相を、その後国家主席を兼務しました。後を継いだ金正日総書記も、まず労働党総書記に就いた後、国家主席に代わる行政の最高ポストとされている「国防委員会委員長」を兼務しています。

 ベトナム共産党ではまず考えられない、また社会主義の歴史の上で他のどこの国にもない「革命政権の世襲」という挑戦が続けられている北朝鮮は別格としても、党の指導者と政府の指導者が同一人物では、個人独裁になる可能性を捨て切ることができません。

 中国は国務院総理(首相に相当)にある程度の権限を与えることで個人独裁化を回避しようとしましたが、それが逆に文化大革命期の二頭体制(毛沢東主席と周恩来首相による長期政権)へとつながっていきました。現在の中国では、共産党トップに定年制(就任時64歳以下)を設けることで世代交代を促し、文化大革命のような個人独裁に近い思想の後退期が再び起こらないような対策を取っています。

大阪の中国専門シンクタンク「三学経営科学研究所」のHPから引用:
 国家主席、副主席、総理、副総理だが、任期は一期5年。再選は可能だが、三選は行わないという不文律がある。次に共産党中央政治局だが、この定年は70歳といわれる。68歳との説もあるが、どうやら70歳とみるのがよさそうだ。

「中国情報源」さんから引用:
 曽氏は半年前ぐらいから退任を胡総書記に打診していたが、内部基準である「68歳定年制」の原則に例外は許されないとして(後略)。

 ベトナムの場合も、社会主義共和国発足後に設けられた国家主席は大体4~6年で交代してきました。社会主義共和国憲法の制定後は任期が5年と規定され、再任されて2期10年務めたのはチャン・ドゥック・ルオン前主席が初めてでした。首相も同様に任期5年。5年満了時の再任はファン・バン・カイ前首相が初めてだったのです。ちなみにグエン・タン・ズン現首相は、党大会と国会改選の時期がずれていたために、就任後わずか1年で国会改選となり、新任議員が決まった後の国会で再任の手続きが取られています。2011年に予定されている次期(第13期)国会議員選挙で、党大会と国会改選が同一年になれば、この手続きも解消される予定です。