社会主義共和国発足後は、原則として5年に1回(解散によって繰り上げられる場合あり)、定期的に国会議員の選挙が行われています。選挙は18歳以上の国民による直接投票方式で行われます。
国会に送り出す国民の代表を直接選挙で決めることは、社会主義陣営ではベトナムの他北朝鮮でも行われている手法ですが、ベトナムでは議員の任期管理が徹底しています。
北朝鮮の最高人民会議では5年の任期を満了してもすぐには次の選挙をしないことが多く、過去には金日成主席の死の前後に8年間引っ張ったことがあります。
東京で編集されている「朝鮮新報」から引用:
最高人民会議の代議員選挙が実施されるのは2003年8月以来5年7カ月ぶり。近日中に、最高人民会議第12期第1回会議が召集される見通し。
中国の全人代も文化大革命期には10年間召集されなかったことがありますが、サイゴン陥落後に限って言えば、ベトナムの選挙制度はしっかりと機能しているといえます。 1992年に現在の社会主義共和国憲法が制定された後、1997年、2002年と2回の選挙を無事にこなしました。そこで5年の任期を満了した議員の後任を決める前回の第12期国会議員選挙は、2007年5月に滞りなく行われました。
ちなみに、中国の全人代の代議員は直接選挙ではなく、省級代表大会や人民解放軍最高幹部による指名制で事実上の間接選挙。ということは、人口8,600万人、有権者5,000万人以上というベトナムにおける国会議員選挙は、社会主義陣営内最大の民主的選挙なのです。
そして、前にも述べたようにベトナムでは共産党以外の政党の存立が認められていません。このために中国が全人代とは別に置かれる政協に頼る、労働者階級以外の層からの意見集約は国会を使います。そういう事情もあり、ベトナムでは非共産党員でありながら共産党の推薦を受けて当選した国会議員もある程度存在します。
日本外務省ホームページから引用:
ベトナムの国会議員選挙においては、広範な政治・社会組織から構成される祖国戦線が候補者の選定に深く関わっており、戦線が計3回の協議会を開催し、最終的な候補者を決定します。最終的な候補者の98%以上が各政治社会組織・国家機関によって推薦されています。
戦時中の日本で行われた「翼賛選挙」では、大政翼賛会の推薦を受けた議員が8割近くを占めましたが、右翼の大物を中心に非推薦の候補者も多数当選しました。笹川良一・日本財団創始者や赤尾敏・大日本愛国党総裁(いずれも故人)らです。これとまったく同じ構造だと、ご理解いただければと思います。
その際、各選挙区に定数を大きく上回る立候補者が立つのもベトナム国会の特徴です。例えベトナム共産党の最高幹部であっても、党の推薦を受けた非党員や、それすらも受けていない非推薦候補者との競争に晒されます。
HOTNAM!から引用:
中央選挙評議会によると、2007年の選挙では875人(うち女性290人)が立候補、党外候補者は149人。自由立候補者は30人で、ホーチミン市の7人が最多、これにハノイ市の6人が続き、Dak Lak、Ha Tay、Ha Tinh省でそれぞれ2人の自由立候補者がいた。
これに対し北朝鮮やニヤゾフ独裁政権時代のトルクメニスタンといったスターリン主義を続けている社会主義国では、定数と立候補者の数が同一になるよう事前に調整され、信任投票となります。特に北朝鮮では、自由立候補はもちろん、労働党非推薦の候補者などあり得ないようになっています。
「対北情報調査部」さんから引用:
最高人民会議の代議員は、自由選挙により選出されるものではなく、労働党が成分の良い熱誠党員1名を選定、単独立候補させ、これに対する賛成投票のみで選出する。
そういう意味で、ベトナムの総選挙は、西側の民主主義手法をベトナムの特徴に合わせて洗練させた、限りなく民主主義に近い社会主義的選挙なのです。
さらに、西側諸国の日本やイギリス、ASEAN圏ではタイやマレーシアといった議院内閣制議会の国で当たり前に行われている任期満了前の解散の制度も用意されています。1992年社会主義共和国憲法下で実際に解散総選挙が行われたことはありませんが、2007年の前回選挙で当選していた現職議員の任期は1年繰り上がって来年で切れるといいます。
公益財団法人国際研修協力機構のHPから引用:
2007年7月~8月の新期(第12期)第1回国会では、省庁改編(中央省庁数の削減)、一部閣僚の交代(副首相2名の追加等)の他、今期国会議員の任期を4年に短縮し、地方議会(人民評議会)議員の任期を2年延長させることが決定され、次回選挙(2011年)より、国会、地方議会選挙と共産党大会が同一年に行われることとなった。
選挙の時期を共産党代表大会の開催時期に合わせることは中国でも行われています(共産党大会の半年後に全人代の代議員が改選される)が、西側の制度に沿って考えると、現行の社会主義共和国憲法下で初めてとなる国会の任期途中解散が最初から予定されていると受け止められています。