ベトナムに進出する企業が望むものと、他の国に対するそれは当然違って然るべきです。ジェトロ(独立行政法人日本貿易振興機構)のアンケート調査の結果からは、ベトナムが何を求められているかを汲み取る事もできます。
ジェトロ海外調査部アジア大洋州課が2009年9月から10月にかけて行った「在アジア・オセアニア日系企業活動実態調査」のお話は、前にも取り上げたことがあります。その時は事業規模拡大の有無という設問を中心にお話をまとめました。今回は、別の設問をテーマにお話をしたいと思います。
タイに拠点を置いている企業向けの設問として、「投資環境の面でタイが優れている点は何だと思うか」というものがありました。回答は選択肢の中から複数挙げてもらう形式でしたが、最も多かった答えは「取引(ないしは納入)先企業の集積」で、409社中194社(47.4%)が理由として挙げました。これに対し、ベトナムで同じ答えをした会社の割合は12.2%に留まりました。
ASEAN圏の中でも、資本主義・自由主義経済を堅持してきたタイには早くから製造分野の企業の進出が進んでいました。特に自動車分野ではトヨタ、日産など大手が軒並み集中し、モーターバイク(2輪車)も大手4メーカーすべてが東南アジア最大の生産拠点にするなど、完成車メーカーを中心に部品メーカーなどの日系企業が多数集積しています。2012年にはスズキの4輪新工場が完成する予定になっており、さらに集積規模は厚くなっていくとみられます。
ベトナムが集積という面で不利なのは、ベトナム戦争によって国自体が20年「出遅れ」ただけでなく、社会主義共和国成立後の当初10年間、西側企業の進出が事実上できない状況になっていたのが原因です。前に書いたゴムのお話でも取り上げたように、日本への原材料輸出すらもほとんどできないという、日系企業にとっては「暗黒時代」でした。
そこからドイモイ政策、冷戦体制崩壊を経て日系企業の進出ができるようになったのは1990年代中頃。日本のバブル景気よりもずっと後です。そこからのブームでホンダ(本田技研工業)やスズキ(どちらも2輪部門のみ)、ヤマハ発動機などが進出していきますが、タイへの進出がブームになった1980年代中頃(円高不況期)から見ても、既に10年近く遅れていました。特にホンダとスズキは、ベトナムがまだ南北に分断されていた、というよりベトナム戦争の真っ最中の1960年代後半には既にタイで2輪車の生産をしていました。4輪単独最大手のトヨタ自動車はもっと古く、1964(昭和39)年に東南アジア初の日系4輪完成車工場をタイに展開していました。
Hondaホームページから引用:
タイホンダは、1967年に二輪車の生産を開始。自国向けに加え、アセアン地域を中心に二輪車の完成車・部品の供給を行っている
スズキホームページから引用:
タイスズキは、1968年7月より二輪車の生産を開始して以来、37年10ヶ月で(累計生産)500万台を達成したこととなる。
ホンダとスズキ、さらにトヨタ自動車が相次いでベトナムに進出したのは1996年。その後、スズキは4輪と2輪を1ヶ所の工場で生産するという革新を決行しましたが、ホンダは4輪の生産を始めるまでに10年かかりました。トヨタも進出14年を経た今でも、ベトナムが全社の中で最も小さな海外生産拠点という実績から抜け出せていません。
それに対して、タイのトヨタはどんどん大きくなっていきます。IMV(新興国向け世界戦略車)ハイラックスヴィーゴの全世界向け輸出拠点となり、IMVプロジェクトで生産国(タイ)への進出を義務付けられたトヨタグループ部品メーカー各社も次々とやってきて、部品から完成車、即ち上流から下流までの集積がさらに進んでいったのです。
ベトナムに製造関連企業の集積が進むのは、まだまだ先。メーカーがタイの中核工場に向けて部品を輸出するという形で集積したのでは、ベトナムは結局のところ、タイの下請け工場という存在にしかなりません。労働集約型産業だけが集積すれば、将来的にはさらに人件費の安いバングラやインドに向けて撤退していく企業も間違いなく出ます。人口の多さは高い生産性という要求について来れる労働力の多さという意味もあります。それを理解した上で、単なる部品供給に終わらないという創意工夫が、各メーカーには求められています。