メコン川最下流の後江に架けられたASEAN圏最長の斜張橋、カントー橋がついに完成、24日、開通式が執り行われて供用開始を迎えました。2004年の着工から6年、2007年の崩落事故を乗り越え、待ちに待った開通。メコンデルタとホーチミンシティを結ぶ自動車交通の新時代が、大きく花開きます。

共同通信から引用:
 日本の政府開発援助(ODA)により工事が進んでいたベトナム南部メコン川沿いのカントー市とビンロン省を結ぶ「カントー橋」が完成、24日、開通記念式典が行われた。同橋は建設中の2007年9月、橋げたが崩落しベトナム人作業員50人以上が死亡、約80人が負傷する事故があり、当初2008年末に予定していた完成が遅れていた。

 ホーチミンシティから国道1号線をメコンデルタ方面へ下ると、カントー市行政圏に入る手前の後江を渡し舟で渡る必要がありました。待ち時間も含めて最大で3時間以上のロスタイムがあったといい、メコンデルタの交通を飛躍させるには、ここに橋を架ける必要がありました。2001年、日本政府は建設費全額に相当する特別円借款248億円の供与を決めて建設が決まり、2004年に着工しました。

経済産業省HP「報道発表」から引用:
 カントー市はメコンデルタ地域の農産物の集積地として最も重要な都市であるが、現在
同国の最大の経済圏であるホーチミン市に通じる国道1号線がメコン川により分断されておりフェリーによる渡航を余儀なくされているところ、本橋梁の建設によりボトルネックを解消し物流の効率化に資するもの。本橋梁はメコン川の軟弱地盤への架橋であり、我が国の高度な架橋技術が活かされるもの。

 建設は大成建設、鹿島、新日鐵の共同プロジェクトが受注。ところが、その日本の最先端技術を駆使しても、同じような低地の軟弱地盤に架けられた斜張橋である産業道路橋(タイ・バンコク)のように無事故で完遂という訳には行きませんでした。それだけ厳しい戦いとなったのです。2007年9月26日、カントー橋の橋げたが突然崩落。日本人管理者は難を免れたものの、橋の上にいたベトナム人の作業員250人以上が被災。川に転落するなどして54人が死亡する惨事になりました。

VIETJOから引用:
 メコンデルタ地方ビンロン省ビンミン郡側で建設中のカントー橋で(2007年9月)26日午前8時ごろ、3本の支柱に支えられていた100メートルの橋げたが、30メートル下の地面に大音響と共に崩落した。

 この原因究明のため、工事は1年近く止まってしまいます。交通運輸省の事故調査委員会は、「支柱の不等沈下が原因で通常の設計では到底予測不可能」と結論付けました。取り付け道路は半年ほどで工事が再開されましたが、国際協力銀行が橋梁本体の工事再開に同意したのは、2008年8月20日のこと。実際に工事が再開されたのはその5日後。本来の完成予定日まであと4ヶ月しかありませんでした。

VIETJOから引用:
 国際協力銀行(JBIC)は21日、同行が特別円借款を供与して建設中だったカントー橋が昨年9月の橋げた崩落事故で工事がストップしていた問題について、事故の原因究明と安全対策にめどがついたとして、同月20日付けでベトナム運輸省に対し、工事再開に同意する通知を行ったと発表した。

 その後は万全な対策を施した上で急ピッチで工事が進められ、遅れを最小限に抑える方針が打ち出されました。2009年8月には、取り付け道路の施工を請け負った中国企業を「進捗が遅い」と契約解除にして地場他社へ交代させるという強硬措置に出て、2010年の南部解放(サイゴン陥落)記念日までに何としても開通させる強い意思を明らかにしました。こうして2009年10月12日、カントー橋は橋げたが一本につながる「閉合式」を迎え、開通への最後の難関を越えました。

メインメニュー

開発と日系企業一覧

携帯サイト